空ヲ撮ル
定年になったら自営業が目標。ぼつぼつ更新。

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バッサバサ                 
2羽のインコは、2つのケージに別々に住んでいる。でも、そのケージはどっちがどっちのと決まっているわけではなくて、放鳥したときに本人たちが気分で好きな方に帰ったり、適当に返したり、わざと入れ替えたりしている。
というのも、ケージは大きさが違うので、中での過ごし方も個体差があるからだ。

青のオスは、大きいケージに入ると必ず餌を蹴散らす。というのも、大きいケージには大きい餌入れがついていて、鳥がすっぽり入れるからだ。先日は朝、少なくなっている餌を私が足して出勤したが、帰ったら底が見えるほど少なくなっていた。長男が「昼にも底が見えるほど少なかったから足した」という。ケージの床や外にはものすごい量がこぼれていて「なんでこんなことするかなー」と二人で呆れた。緑のメスも、大きいケージに入ると餌を蹴散らして遊ぶけど、そこまではやらない。
あまりに餌がもったいないので、陶器の小さい餌入れを探してきた。これでこぼされることはなくなったが、空にした餌入れの中に、相変わらず入って蹴散らす動作をしているオス。なんでかなあ?

今日は放鳥中に、メスの爪を切ろうとしたらオスがやってきて邪魔をする。捕まえているメスをつつきに飛んでやってくるので、捕まえてる長男も切る私も、捕まっているメスもパニック。とうとう切りすぎて流血沙汰になってしまった。ごめんねメイちゃん、痛い思いさせて。
これに懲りて、爪を切るときは1羽ずつ出してからにしようと決めた。ちなみに、近所の獣医さんに電話して聞いたら、

・脱脂綿で押さえて止血する
・火をつけていないタバコの葉で押さえて止血する

のがいいそうだ。うちにはタバコ吸う人がいないが、こういう時には役に立つのか、タバコ。
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はだしのゲン                 
広島県の隣県、島根県の小中学校で閲覧制限されていると報道され、大きな話題になった。
私は広島生まれ、広島育ち。小学校の学級文庫には、1年生の時から「はだしのゲン」が置いてあり、休み時間には競って読まれていた。確かに、今でいうところのエグい表現、グロい表現、えげつないエピソードがいっぱいあったけど、子どもながらに「これは昔、本当にあったことなんだ。自分とは違う国に生まれた人を卑下したり、戦争に反対する人に罰を与えたり、それが正しいことのようにされていた時期が本当にあって、人が人としての自由を持てなかった。それが日本の戦争だった」と理解していた。たぶん、最後までは読んでいないのかもしれなくて、原爆が落ちて苦労しながら育っていくところを主に読んだ覚えがある。

ある掲示板に、この問題が報道される前に「妹の住む自治体では閲覧制限がある」と質問を挙げた人がいて、回答の中には「何も知らずに読み、ショックでトラウマになった」「あまり幼い時に見せるものではない」という意見が多かった。でも「トラウマも必要な経験」という意見もあった。
うちの子どもたちにこの報道について聞いてみると「読む読まないは本人の自由」「受け入れるかどうか、それについてどう考えるかは本人次第」「年齢は関係ない」という意見だった。

私も子供たちと同じ意見だ。実際に経験した人が、記憶をもとに忠実に描いたということは間違いないし、時間が経てば経つほど証人は減り、歴史は風化してしまう。私が小学校3年生の時の担任は原爆の経験者で、自身は直接被爆していないけど、逃げてきた人を介抱した話とか、弟さんが電車内被爆者で、そのエピソードを語ってくれた。貴重な話を聞けて本当に良かったと思う。先生だから積極的に語ってくれたのであって、身内の被爆者は多くを語ってくれなかった。

言葉だけではなく、見たことを絵にして記録するのはとても具体的で有意義なことだ。アメリカでは戦争映画もたくさん作られていて、史実を残そうとしているように見える。
日本でも、韓国や中国から引き揚げてきた人の話、東京大空襲の被害の話など、文学作品は多く作られている。漫画として残っているのは日本ならではの文化だからだと思うし、「はだしのゲン」の表現がきついと言われるのは、経験者が記録として残しているからではないだろうか。
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言葉にならない。                 
すぐ下の妹の旦那さんが亡くなった。川の事故で、妻と娘が見ている前で流されて見えなくなったとか。幸いにも救助ヘリにすぐ発見されて病院へ搬送されたけど、助からなかった。
それを一番に知らされたのは父で、父は震える声で私に電話してきてくれた。仕事中に電話を聞いた私も動揺して、何をしているのか上の空。

義理の弟にあたる故人は私より年上で、でもまだ40代前半と若かったのに、両親と兄弟と妻子を遺して逝ってしまった。そんなこんなで、あっという間に3日が経ち、お通夜もお葬式も骨拾いも終わった。お骨を連れて帰宅した妹一家に、申し訳ないけど今から次の手続きがたくさん必要であること、まずしなくてはならないことを書類とともに説明した。

そう、私が今就いている仕事は「相続」「税金」「土地建物の資産運用」についての相談業務をする部署の補佐。だから毎日そういう話に接しているのだけど、身内の相続となると気持ちが違う。ファイナンシャルプランナーとして初めての仕事ともいえる相続のお手伝いが、まさか実の妹へのアドバイスになるなんて・・・。

通夜や葬儀の最中、妹が何を考えていたのかはわからない。
でも、いつか必ず自分の身の上にも起こることなんだ、夫が先か私が先か、もしかしたら息子たちの誰かが先かわからないけど、この世に生まれた命は必ず終わりがある。人間に生まれた以上、亡くなったらこういう儀式が必ずあって、送る人は大変な思いをしながら縁のある人にお別れをする場を設けて送ってあげなくちゃいけないんだなって実感した。

人生は何が起こるかわからない。わからないけど、今その時に必要なものを与えられているんだなといつも実感する。私がこんな仕事をしているのも、自分から選んだわけではないのだけど、何かに与えられて導かれてきたのだろう。これからも誰かのお役に立てるよう、がんばらなくてはいけないと思い知らされた。
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