「褒める」と「叱る」の間
2013.01.27 Sunday |
先日、小学校と公民館の共同主催行事で、療育センターの指導員をしている人の話を聞いてきた。普段は問題のある子供を持つ親からの相談を受けている方で、講義もよくされているそう。今回は時間が短かったので本当に要約した部分しか聞けなくて残念だったが、貴重なお話を聞くことができた。
子育てに限らず、コミュニケーションに一番大事なのは「褒める」「叱る」といった要所ではなくて、その間の「何でもない関わり」なのだという。これは私もうんうんと思った。普段つまらない小さな会話を積み重ね、お互いを知ることがコミュニケーションにつながる。
私「女子会かあ、いいなー。母さんもやろうかな、ばあちゃんと温泉に」
長男「それはただの温泉旅行」
私「じゃあ、Mさん(私の上の妹)とHさん(私の下の妹)と・・・」
三男「きょうだいじゃん」
という具合な会話をうちではよくしている。息子たち、的確なツッコミありがとう!といつも思う。思春期の子どもは難しいというけれど、普段からこんなふざけた会話をしているからこそ、息子たちは困ったときに言いたいことが素直に親に言えるのだと思う。「いつもつまらないことばっかり言って!」と親が拒絶してしまうと、子どもは親に話しても聞いてもらえないと思うようになる。だから、叱っても褒めても「言葉が心に届かない」ことになる。
しかし、自分がしてきたことの結果として子育てに迷っている人は「私はなぜ迷ってしまったのでしょう」とカウンセラーに問いかけるそうである。迷う原因は今までの中にあるはずだ。
問題を起こす子どもは、『問題を起こすと親がかまってくれるから問題行動をする』のであり、「かまってほしい、自分を見てほしい」のアピールが問題行動なのだと気づかなければ、問題行動をおさめることはできない。
「よい子になると関心を持ってもらえなくなる」では、かまってほしい子の欲求は満たされない。「よい子になると得をする」でなければ、問題行動より上にはならない。
行動=報酬という連動は良いことではない、自分が「できた!」という満足感を持ってこそ、子供は成長するからだ。褒めるのも上から目線の言葉でしかない。子育ては横から、下からの目線で「ありがとう」「嬉しいよ」「私にも教えて」などと声をかけ、握手や笑顔、頭をなでるなどの非言語コミュニケーションも多用すると効果が上がる。
とはいえ、子育てがどの時点で成功なのかなんて判断できないし、親だっていつでも元気でゆとりを持って子どもに接していられるわけではない。ないけど、信頼関係は日ごろから培われるもの。「何でもない普段の会話」「何でもない家族のお出かけ」を大事にして、心のつながりを作っていきたい。