アルピニスト:野口健の公式ブログを見ていたら、こんな記事を見つけた。
遺骨調査団に参加して
読んでいたら泣けてきた。私の亡き祖父は兵士として中国に渡っていた。虫垂炎にかかったがすぐに手術できず死にかけ、一命を取り留めて日本に返された。運がよかった人だと思う。母は戦後生まれだから、祖父が帰国できずにいたら私もこの世にいなかっただろう。
祖父は戦争について多くを語らなかった。きっと思い出したい話ではなくて、幼い孫に話したい内容でもなかったのだろう。祖父が亡くなったのは私が中学生の時なので、もう少し生きていたならもっといろんな話が聞けたのにと思う。
好きで戦争に行った人なんていないはず。好きで自決した人なんていないはず。
たくさんの骨が今でも発見され、自分の国に帰るのを待っている。なんのために戦争に行ったんだろう。彼らが戦争に行ったことで、彼らの大切な人たちは本当に守られたのだろうか?今の平和な日本があるのは確かに彼らのおかげかもしれないけれど、日本はどうしても戦争という手段を選ばなくてはならなかったのか?回避できていたなら、あの戦争で亡くなった20万人の兵士、何万人もの空襲や爆撃にあった人たちの命は失われずにすんだのではないか?
こうした遺骨のような『負の遺産』は、人間同士の醜い争いはなんの意味もないと伝えてくれている。でも地球上から戦争はなくならない。
戦争をしているのは、人間だけ。同じ種族同士で殺し合いをするのは、人間くらいのものだ。あとは細菌とか、ウイルスとか。それも自分が生きていくためにするのであって、人間ほどばかげた争いをするものはいない。
人間は「突然変異によって狂ってしまった種族である」という説がある。
同じ属の猿仲間にも無益な争いや殺し合いをする種族はいない。地球上に何億という生物が存在しているが、同じ種族同士が生きていく上での必要性なくして殺し合いをするのは人間だけ、おかしいのは人間。だからどこかでおかしなDNAが発生し、受け継がれているのだろうという。
そのおかしなDNAを正常に戻すことができたなら、ノーベル平和賞を受賞してもおかしくないだろうな。しかし人間がそういう遺伝子を受け継いできたということは、それが人間にとって必要だったからなのか?
いやもしかしたら、人間の横暴を許さない、地球の必要性からなのかもしれない。